エドウィン.ダン 記念館

エドウィン.ダン記念館について

Edwin Dun 1848-1931

一木万寿三画伯の5年の力作

記念館とその周辺のご案内

資料展示室A

資料展示室B.C.D

小集会室

テラス

真駒内中央公園

牧柵

会館日などのご案内

 

 

 

。。。。エドウィン.ダン記念館について。。。。

 

 この建物は、旧北海道庁真駒内種畜場事務所の一部であります。

明治9年開拓使牧牛場として、エドウィン.ダンの手により創立されて

以 来、北海道の酪農畜産はこの建物を中心として展開されました。

 戦後米軍の接収により種畜場は移転しましたので、有志はこの由緒

ある建物を撤去するに忍びず、昭和39年にエドウィン.ダン顕彰会

(現在はダンと町村記念事業協会)によりここに移設し関係資料を

展示することにしました。

 その後、建物は昭和41年、札幌市に移管され運営されていました

が、老朽化のため約8000万円をかけて本格的な改修工事を行い、平成

15年5月リニューアルオープンを機に、運営を地元住民の手にゆだねま

した。

 

 

エドウィン.ダン

Edwin Dun 1848-1931

 北海道の開拓は、明治政府の大きな課題であったが、その広大な原野を開墾して、牧草地や畜産施設の整備に尽力し、わが国の農業.畜産を発展に導いた第一功労者が、エドウィン.ダンである。

 お雇い外国人教師として、開拓使の農業指導に来日したダンは、牧場経営の経験を生かして実地指導に努め、各種の施設を有する約三〇〇〇ヘクタールの真駒内種畜場の基礎を作り、ここを北海道の畜産の一大拠点とした。

 

 北海道を去った後も、外交官、実業家として半世紀を日本のために捧げた誠実な先覚者である。

 

エドウィン.ダンの年譜と業績 

        1848年(嘉永元年)7月19日  米国オハイオ州チリコシ生まれ、父の経営する大牧場で育つ。

     1866年(慶応2年)    マイアミ大学を中退し、父の牧場で競走の育成法を学ぶ。

        1873年(明治6年)    A。B。ケプロン(ホーレンす。ケプロンの息子)の勧めを受け、米国の進んだ畜産業を技術を指導するために来日。三年間東京麻布の第三官園で、約三十人の生徒に、実技を重視した指導を行った。

        1875年(明治8年)    函館近くの七重官園に出張し指導を行う。特に馬の改良に必要な去勢術を指導した。併せて札幌官園、新冠牧場を視察し、北海道の畜産振興の方針について意見書を提出した。

        また、七重で青森県出身の松田ツルと出会う。国際結婚のための難しい手続きを経て正式に結婚。ダンに日本永住の決意をさせる。

        1876年(明治9年6月)    札幌官園に転勤し、直ちに真駒内牧牛場の建設に着手した。翌年、草地や施設の一部ができ、札幌官園から牛を移して牧牛場を開設した。引き続き耕地の拡大、搾乳場、乳製品加工場、用水の確保など牧場の施設を整備した。

        この牧場は、明治19年に北海道庁に移管され、明治26年に北海道庁種畜場となり、牛ばかりでなく羊や豚など各種の家畜を飼育して、北海道における家畜改良、技術普及の拠点になり、北海道の畜産振興に大きく貢献した。

    同時に札幌に牧羊場、養豚場を開設し、羊の加工技術を指導した。

        1878年(明治11年)    新冠牧場を整備し、馬産王国北海道の基礎を作った。開拓使は、馬の改良と増殖を重視した。従来の日本では農耕や運搬に牛を用いていたが、米国の農法を模範とする開拓使は馬を使用する農機具の導入を図り、ダンが指導した生徒を各地に派遣してその使用法を指導した。

        馬による大型機械の普及は、北海道における大規模農業を可能にした。

        ダンが指導したのは、畜産だけでなく、農業の各分野にわたり、ビール製造用の大麦の栽培、種子の輸入、暗渠排水による土地改良など広範囲であった。

        1882年(明治15年1月)    開拓使が廃止され真駒内牧牛場は、多くの事業と共に農商務省に引き継がれ、ダンは農商務省に雇用されたが同年12月、6年半にわたる活躍で、多くの業績を残東京に移った。

        1883年(明治16年)    政府は、ダンが10年間にわたり北海道の農業、畜産の事業計画と整備に従事し、特に新冠牧馬場の名声を高めた功績を評価して、勲5等旭日双光章を与した。

        1883年(明治16年)    長女へレンを連れ米国オハイオ州の故郷に帰国、家族との生活の場を求めて、西北部を旅行した。

        1884年(明治17年)       駐日米国公使館二等書記官を命じられ、再び来日した。

        1888年(明治21年)    ツル夫人死去、28歳。後年中平ヤマと再婚した。

        1889年(明治22年)    参事官になった。

        1893年(明治26年)    全権公使に昇進した。

        1894年(明治27年)    日清戦争始まる。ダン行使は、北京駐在のテムビー公使と協力して平和交渉を行い、早期終結に貢献した。

       1897年(明治30年)    米国の政変により、公使を辞任した。

        1900年(明治33年)    石油採掘事業を起こした。

        1912年(大正元年)    三菱会社に勤務した。

        1931年(昭和6年5月15日)    東京代々木の自宅で永眠した。82歳であった。墓は東京青山墓地にある。

 

館内にはエドウィン.ダンの北海道 酪農普及に努めた史実をもとに、

一木万寿三画伯の5年の力作 大小32点の油絵と、貴重な写真が

解説と共に展示されている。

 

 

記念館とその周辺のご案内

 

 

 

資料展示室A

玄関に続く展示室。左側には小集会室があり、来訪者のくつろぎの場としても利用されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

資料展示室B.C.D

落ちついた雰囲気の中に、ダンの偉業を描いた絵画32点をはじめ、写真や遺品などが展示されている。

 

 

 

 

 

 

 

小集会室

40号油絵「残雪」(一木万寿三画伯 )や札幌オリンピック開催前後の札幌市の写真( 道新提供)が掲げられている。

 

 

 

 

 

 

テラス

明治の洋風スタイルの美しいテラス。ウエスタンメロデイと共にカウボーイが颯爽と現れそう.......。

ゆったりと公園の景色が楽しめます。

 

 

 

 

 

真駒内中央公園

              

公園の東側には「エドウィン.ダン像」(峯孝氏作)があり、また、

真駒内川から引いた「開拓時代の農業用水路」は、数十羽のカモ

が住む「ひょうたん池」を経由して、今もなお真駒内の中心部を流

れています。

 

 

 

 

 

牧柵

雪に映え往年を偲ばせる牧畜場時代の

明治の牧柵。作り方 はエドウィン.ダンの

指導によるもの。

老朽化し危険のために平成15年、記念

館の改修を機に新しくなり、今はもうな

い。

 

 

 

 

 

 

。。。。。。。開館日などのご案内。。。。。

     (エドウィン・ダン記念公園内)地 下鉄南北線

        真駒内駅下車 徒歩10分(約700M)

         ∼午後4時30分・・・水曜日休館

          11月4日∼3月31日・・・金・土・日開館
 

 

         TEL: 011-581-5064